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  • RPG制作への再挑戦

    中学1年生の頃に制作したRPGの続編を、ふと思い立って考え始めました。

    あれから3年。

    技術も、知識も、少しは増えているはずです。
    けれど同時に、「本当に作れるのだろうか」という不安もありました。


    プログラミングを始めた小学2年生の夏

    プログラミングを始めたのは、小学2年生の夏でした。

    当時はまだ「ゲームを作る」という発想すらなく、
    画面に線や図形を描くだけで十分に楽しかった記憶があります。

    コンピュータが命令どおりに動く。

    それだけで驚きであり、遊びでした。


    ファミリーBASICとの出会い

    転機になったのは、
    ファミリーBASICに触れてからです。

    テレビにつながった家庭用ゲーム機で、
    自分の作ったプログラムがそのまま動く。

    ここで初めて、楽しみは
    「遊ぶこと」から「作ること」へ変わりました。


    マイコンBASICマガジンという教科書

    毎月の楽しみだったのが、
    マイコンBASICマガジンの投稿コーナーでした。

    誌面に掲載されたプログラムを一行ずつ打ち込み、動かす。

    完成したゲームで遊ぶこと以上に、
    「どうやって作られているのか」を知る時間が面白かったのです。


    中学時代に作った最初のRPG

    中学へ進学すると、周囲にプログラムを作る友人が一気に増えました。

    そして、自分でもゲームを制作します。

    元になったアイディアは
    ハイドライド。

    内容は非常にシンプルでした。

    • 勇者が草原を移動する
    • 城へ向かう
    • ドラゴンを倒す

    謎解きも、複雑な装備もありません。

    敵にぶつかると戦闘が発生し、
    勝てば経験値が増える。

    仕組みはほぼ引き算だけ。

    強ければ勝ち、弱ければ負ける。

    どこかボコスカウォーズの影響も受けた、
    極めて単純なルールでした。

    それでも「自分のゲーム」が動いたことは大きな出来事でした。


    3年後、新しいゲームを考え始める

    あの制作から3年が経過しました。

    知識も増え、
    憧れるゲームの規模も大きくなっています。

    だからこそ、同じ問いが浮かびます。

    次に作るなら、
    もっとちゃんとしたRPGを。


    本当にRPGは作れるのか

    しかしRPGは簡単ではありません。

    マップ管理。
    キャラクター成長。
    イベント制御。

    思いつくだけでも課題は多い。

    それでも――

    今日から、新しいゲームを考え始めます。

    そして明日から、
    RPG制作に関することを少しずつ記していこうと思います。

  • ナムコ システムIIと『フェリオス』

    1989年、アーケードゲームの表現力は大きな転換点を迎えていました。

    その象徴のひとつが、
    フェリオスです。

    本作はギリシャ神話をモチーフとし、
    魔神デュポンに捕らわれた王女アルテミスを救うため、
    騎士アポロンがペガサスに乗って戦うという物語が描かれます。

    神話的世界観と、当時としては非常に高度な映像演出が強く印象に残る作品でした。


    システムIIが可能にした回転・拡大縮小表現

    『フェリオス』最大の特徴は、背景やキャラクターが滑らかに回転・拡大縮小する演出です。

    これはゲームデザインというより、
    ハードウェア性能そのものを見せる作品でもありました。

    本作が動作していたのは、
    ナムコ システムII。

    この基板は、ビットマップ画像に対して

    • 拡大
    • 縮小
    • 回転

    をハードウェアレベルで処理可能でした。

    CPU負荷に頼らず映像変形を実現できたため、
    多くの開発者がこの機能を活かしたゲームを制作しています。


    ナムコ システムIIのハードウェア構成

    主な仕様は以下の通りです。

    CPU

    • メインCPU:MC68000
    • サブCPU:MC68000

    サウンド

    • サウンド制御:68B09
    • FM音源:YM2151(OPM)
    • D/Aコンバータ:YM3012(ステレオ)
    • PCM音源:C140(ナムコ製カスタム・24ch)
    • PCM用D/A:LC7880 / LC7881

    複数CPUによる並列処理と、強力なPCM音源により、
    映像だけでなく音響面でもアーケード水準を押し上げました。


    X68000やメガドライブへの移植は可能か

    環境を考えると、

    • X68000
    • メガドライブ

    への完全移植は非常に難しかったと考えられます。

    理由は明確です。

    システムIIでは回転・拡大縮小が専用ハードウェア処理であるのに対し、
    これらの環境では基本的にCPUまたはソフトウェア処理に頼る必要があるためです。

    現実的な移植方法としては、

    • 回転演出を省略する
    • スプライト切替による疑似アニメーション
    • パターン差し替えによる“見せかけ”演出

    といった手法が選ばれた可能性が高いでしょう。

    つまり、忠実移植よりも
    演出の再解釈が必要になるタイトルと考えます。


    セルアニメのように動くドット絵デモ

    『フェリオス』で特に印象深いのは、ステージ間に挿入されるデモシーンです。

    ドット絵で描かれたキャラクターが、
    まるでセルアニメーションのように滑らかに動く。

    これは単なるゲームの合間ではなく、
    アーケードゲームが「映像作品」に近づき始めた瞬間でもありました。

    1989年という時代において、
    ゲームセンターは最新の映像技術を体験できる場所です。


    まとめ

    ナムコ システムIIと『フェリオス』は、

    • ハードウェア性能を前提としたゲーム設計
    • 神話的演出と技術デモの融合
    • 家庭用との差を明確に示したアーケード体験

    を象徴する存在ではないでしょうか。

    そして同時に、

    「これを自宅のX68000で作れるだろうか」

    と考えさせる作品ですね。


    出典・参考資料

    • 『フェリオス』業務用基板
  • 高校入学とアルバイトの開始

    1989年4月。
    高校への入学と同時に、アルバイトを始めました。

    目標ははっきりしていました。

    100万円を貯めること。

    当時としても決して小さな金額ではありません。
    けれど、その先には明確な目的がありました。


    目標は100万円という現実的な夢

    購入を考えていたのは、単なるパソコンではありません。

    • X68000 本体
    • 専用ディスプレイ
    • MIDIボード
    • シンセサイザー
    • モニタースピーカー

    一式を揃えるには100万円近い資金が必要でした。

    高校生にとって、それは「夢」でありながら、
    働けば届くかもしれない現実的な目標でもありました。


    憧れだったX68000という存在

    1987年に登場したX68000は、家庭用パソコンでありながら
    ワークステーションに近い性能を持つ特別な存在でした。

    アーケードゲームに匹敵する描画能力。
    本格的な音楽制作環境への拡張性。

    当時のパソコン雑誌を読むたびに、
    「いつか自分の部屋に置きたい」と思わせる機械でした。


    MIDI音源とシンセサイザーへの夢

    音楽制作環境として考えていたのは、

    • Roland MT-32
      あるいは
    • Roland CM-64

    さらに、

    • YAMAHA V50

    という構成でした。

    MIDIによってコンピュータと楽器が接続され、
    自宅で本格的な音楽制作が可能になる時代。

    DTM(デスクトップミュージック)という言葉が、
    ようやく現実になり始めた頃でした。


    学校生活への複雑な気持ち

    正直に言えば、学校そのものには
    すでに強い期待を持てなくなっていました。

    「もう行きたくない」

    そんな感覚を抱えながらも、
    新しい環境と新しい自由が始まる時期でもあります。

    アルバイトによって得られる収入は、
    単なるお金ではなく、自分の選択肢そのものでした。


    働きながら過ごす一年の決意

    昼は学校へ通い、
    放課後は働き、
    少しずつ目標へ近づいていく。

    1989年の春は、
    子どもから自分の意思で動く存在へ変わり始めた時間だったように思います。

    一年間、しっかり働きながら、
    そして可能な限り学校生活も楽しむ。

    そう決めた春でした。


    まとめ

    高校入学と同時に始まったアルバイトは、
    単なる資金集めではなく、

    「自分の未来を自分で買うための準備」

    でもありました。

    X68000とMIDI環境への憧れは、手に入れたい技術と夢そのものだったのかもしれません。

  • 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争|第1話「戦場までは何マイル?」

    1989年3月25日、OVA作品として発売された
    機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争。

    その第1話「戦場までは何マイル?」は、これまでのガンダムシリーズとは明確に異なる空気をまとって幕を開けました。

    監督は高山文彦、
    演出は高松信司、
    そして脚本を担当したのは山賀博之です。

    メカニック作画監督には岩瀧智が参加しています。


    1989年、OVAとして始まった新しいガンダム

    本作はテレビシリーズではなく、ビデオソフトとして直接販売されるOVA(Original Video Animation)作品でした。

    テレビ放送の制約から離れたことで、物語はより静かに、そして現実的に始まります。

    主人公アルフレッド・イズルハは少年。
    当時の視聴者にとって、自分より年下の声優が“最新ガンダムの主人公”を演じていることに驚きを覚えた人も少なくありません。

    ガンダムという作品が、すでに「次の世代」に受け継がれていたことを実感させる瞬間でもありました。


    山賀博之が脚本を担当した意味

    脚本を担当した山賀博之は、
    王立宇宙軍 オネアミスの翼の監督として知られています。

    さらに、超時空要塞マクロスでは絵コンテ制作にも参加していました。

    SF世界を「生活の延長線」として描く作風は、本作にも色濃く表れています。

    英雄やエースパイロットではなく、
    戦争を遠くから眺める子どもの視点

    それは、それまでのガンダムとは異なる切り口でした。


    ガンダムを見て育った世代の視点

    本作から感じられるのは、
    「ガンダムを見て育った世代が作るガンダム」という空気です。

    1979年の機動戦士ガンダムを体験したクリエイターたちが、
    今度は“作り手”として宇宙世紀を再解釈している。

    その視線はどこか冷静で、戦争をロマンとしてではなく、日常へ侵入してくる現実として描いています。


    洋画的演出とリアルなスケール感

    第1話で特に印象的なのは、モビルスーツの「巨大さ」を強く意識させる構図です。

    画面はしばしば低い視点から描かれ、兵器としての重量感が強調されます。

    また演出には、1980年代の戦争映画やSF映画を思わせるカメラワークが多く見られ、
    従来シリーズ以上に洋画的な引用や影響を感じさせます。


    ガンダムが登場しない第1話という挑戦

    興味深いことに、第1話の時点ではまだガンダムは登場しません。

    物語は地上の日常から始まり、徐々に宇宙へと視線が広がっていきます。

    これは歴代シリーズとは異なる導入であり、
    「戦争そのもの」を先に提示する構成でした。

    ガンダムという存在を“伝説”として遅れて登場させる演出は、
    本作のリアリズムを象徴していると言えるでしょう。


    まとめ

    『ポケットの中の戦争』第1話は、派手な戦闘ではなく、
    戦争に触れてしまう日常から物語を始めました。

    1989年という時代に生まれたこの作品は、
    ガンダムというシリーズが成熟期へ入ったことを静かに示しています。

    そしてそれは、
    「ガンダムを見て育った世代」が初めて作り上げたガンダムでもありました。


    出典・参考資料

    • 『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』OVAクレジット表記
    • アニメージュ1989年掲載スタッフインタビュー
    • ニュータイプ1989年掲載スタッフインタビュー
  • 消費税が始まった日

    1989年(平成元年)4月1日、日本で初めて「消費税」が導入されました。
    税率は 3%。この日を境に、日本の税制と私たちの日常生活は大きく変わることになります。

    それまで税金というものは、主に所得税や法人税など、収入や企業活動に対して課されるものでした。
    しかし消費税の導入によって、「物を買う」という日常の行為そのものが課税対象となりました。

    つまり――
    大人も子どもも、買い物をすれば税金を支払う時代が始まったのです。


    なぜ消費税が導入されたのか

    1980年代後半、日本では急速な高齢化の進行が将来の社会保障費増大として問題視されていました。

    政府は、景気や所得に左右されやすい所得税中心の税体系から、
    より安定した財源を確保できる「広く薄く負担する税制度」への転換を目指します。

    その結果として導入されたのが消費税でした。

    消費税制度は、当時の内閣総理大臣であった
    竹下登政権下で成立しています。


    生活の中で起きた小さな変化

    消費税の開始は、私たちの財布の中身にも変化をもたらしました。

    それまで日常生活で使う機会が減っていた
    1円玉や5円玉が、再び重要な存在となったのです。

    例えば100円の商品を買えば103円。
    端数が生まれることで、多くの人が細かい硬貨を持ち歩くようになりました。

    当時はレジでの計算も現在ほど自動化されておらず、
    店舗側・消費者双方に戸惑いが広がったと記録されています。


    社会的な議論と反発

    消費税導入は決して歓迎一色ではありませんでした。

    • 「生活必需品にも課税されるのか」
    • 「低所得者ほど負担が重くなるのではないか」

    といった懸念から、各地で反対運動や政治的議論が起こりました。

    実際、消費税は現在でも日本社会における重要な政策論点の一つであり続けています。

    出典・参考資料