— UC0105、歴史の狭間に立つ物語 —
1月30日、4年ぶりとなる『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』続編
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』が公開されました。
2021年公開の前作
機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ
から続く三部作構想の第2章。原作は1989年刊行の
機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(著:富野由悠季)。
宇宙世紀(UC)0105年を舞台にしたこの物語は、ガンダム史における“空白の政治史”を描く作品でもあります。
世界最速上映の熱気と、静かな朝の始まり
一部劇場では午前0時からの世界最速上映が実施されました。
私は朝8時からの回を選択。
劇場が入るビルの開館時刻は午前7時。これは併設されている
スターバックス
の営業時間から事前に把握していました。
座席予約制度が徹底されていたため、開館前の列はおよそ10人程度。熱狂というよりも、整然とした期待感が漂っていました。
スタッフは事前に物販の注文シートと整理券を配布。混乱回避の配慮が感じられます。しかし私は、注文書にネタバレ要素が潜んでいる可能性を警戒し、目を通しませんでした。
結果として――これは正解でした。
後に振り返ると、確かに“読み解ける人には読み解ける”要素が潜んでいたのです。
上映前の静寂、そして呼吸
エレベーターが動き始め、飲食物の列はなく、物販のみが伸びていく。
ロビーのモニターには今後の上映作品の予告映像。
やがて入場開始。特典を受け取り、座席へ。
しばし流れる予告編の映像。
呼吸を整える時間。
そして、『キルケーの魔女』が始まりました。
(※本稿では内容の詳細なネタバレは避けます)
風景を描くということ ― アニメーションの本質
上映後、まず心に残ったのは“等身のデフォルメのない描写”でした。
空、地面、海、天候。
地球という惑星の質量を感じさせる描写。
思わず、
「地球は日本だけではない」
と実感させられるほどのスケール感。
アニメーションは誇張の芸術でもありますが、本作はむしろ写実を通じて思想を語る作品でした。
描写は装置であり、テーマのために存在する。
それを徹底した映像設計だったと感じます。
UC0105という歴史的位置
ここで一点だけ、軽微なネタバレを。
物語は宇宙世紀0105年(UC0105)。
私たちはすでにその先、
機動戦士ガンダムF91(UC0123)以降の未来を知っています。
だからこそ思うのです。
「この技術がこの時点で存在するということは、あの企業の衰退前に既に試験されていたのではないか」
過去に“準公式”扱いだった設定の一部が、今回明確に公式へ昇格した出来事もありました。これはガンダム史において小さくない意味を持ちます。
前作以上に、過去作品との因果関係が浮き彫りになる構造。
そのため、本作単体では理解が難しいと感じた方もいるかもしれません。
なぜ「原作小説」なのか
ガンダムシリーズの多くはアニメオリジナル作品です。
しかし『閃光のハサウェイ』は異なります。
- 原作小説:1989年刊行
- 第1部映画:2021年公開
- 第2部映画:2026年公開
37年という時間を越え、物語が再構築される。
これは単なる映像化ではありません。
世代を超えた再解釈の営みです。
ガンダムとは、長い年月、多くの創作者と観客が共同で紡いできた物語。
その時間的厚みこそが、このシリーズの特異性なのです。
Dolby Atmosでの体験
今回はドルビーアトモス版で鑑賞しました。
音は空間を作る。
空間は政治と戦争を現実に近づける。
特に本作では、音響が恐怖と緊張を増幅する重要な役割を担っていました。
単なるサラウンドではなく、思想を支える音響設計だったと感じます。
これから
三部作の第3部はいつ公開されるのか。
そして私は、この第2部をいつ2回目として観るのか。
宇宙世紀は過去でありながら未来である。
私たちは既にその先を知っている。
それでも、この瞬間の物語に胸が高鳴る。
今後、このサイトでも“ガンダム講座”として宇宙世紀の因果関係や設定史を整理していくのも面白いかもしれません。
長い時間をかけて紡がれた物語は、観るたびに意味を変える。
それこそが、ガンダムという文化の本質なのかもしれません。
