― GUIは自由を与えるためではなく、行動を統制するためにある
Windows 95の作業環境は「使いやすくなった」と語られることが多い。
しかし技術者の視点で見ると、これはユーザーの自由を減らすことで全体最適を実現した設計だった。
GUIは飾りではない。
人間を制御するためのインターフェースである。
1. スタートメニューという「正規ルート」
Windows 95以前、アプリの起動方法は自由だった。
- Program Manager
- DOSプロンプト
- 独自ランチャ
- バッチファイル
Windows 95は、これらをスタートメニューに集約した。
技術的意味
- 実行経路の統一
- 管理者による構成制御
- 「想定外の使い方」の排除
スタートメニューは利便性向上ではなく、
OSが「正しい起動方法」を定義する仕組み
だった。
2. エクスプローラー=唯一のファイル世界
Windows 95のエクスプローラーは、単なるファイルマネージャではない。
それ以前
- Norton Commander
- DOSコマンド
- 独自ツール
それ以降
- すべてエクスプローラー基準
ファイル操作は
- コピー
- 移動
- 削除
- 属性変更
すべてGUI経由が「正解」とされた。
これは、
ファイル操作の抽象化と独占
であり、OSが世界観を定義した瞬間だった。
3. タスクバーが奪った「完全なマルチタスク」
タスクバーは革命的だった。
同時に、マルチタスクの意味を変えた。
技術的実態
- 実際の並列処理能力は限定的
- Win16アプリは協調型
- Win32アプリのみプリエンプティブ
それでもタスクバーは、
- 「同時に動いている感覚」
- 視覚的な管理
をユーザーに与えた。
結果、
人間側がOSの制約を受け入れる
という逆転が起きた。
4. ダイアログ地獄は設計思想の結果
Windows 95は、ダイアログが多い。
- 確認
- 警告
- 設定
- エラー
これは設計ミスではない。
技術的理由
- 状態遷移が複雑
- 内部一貫性が弱い
- ユーザー判断に委ねる必要があった
つまり、
GUIで不完全さを補っている
OSだった。
5. 作業とは「OSが許したこと」だけ
Windows 95環境では、
- ハード直接操作は不可
- 割り込み管理はOS経由
- メモリは抽象化される
これは制約だが、同時に前進だった。
アプリは自由を失う代わりに、互換性を得た
この交換条件がWindowsの繁栄させる。
6. GUIは“教育装置”である
Windows 95のGUIは、
- 覚えなくても使える
- 迷わせない
- 想定外を起こさせない
これは意図的だ。
ユーザーをOSの望む行動に教育する
まとめ:GUIは中立ではない
Windows 95のGUIは、
- 技術を隠し
- 行動を制限し
- 結果を安定させる
ための装置だった。
自由度を失った代わりに、
PCは「誰でも使える機械」になった。
次回予告
第4回:Windows 95のアーキテクチャと最適化
― 16bitと32bitが共存する“危うい平衡”
次回は、
カーネル/USER/GDI/VxDという内部構造の歪みを
技術的に分解する。

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