5月23日、Javaが姿を現す

サン、新プログラミング言語を正式発表

1995年5月23日、サン・マイクロシステムズは年次イベント「SunWorld」において、新しいプログラミング言語および実行環境「Java」を発表した。
家電向け組み込み技術として水面下で進められてきたこの技術は、ワールドワイドウェブという新たな舞台を得て、ついに表舞台へと登場した。


誕生の経緯

家電向け極秘プロジェクトの始動(1990年12月)

Javaの歴史は1990年12月、サン・マイクロシステムズ社内で試験的に立ち上げられた小規模プロジェクトに端を発する。
次世代の家電製品に搭載されるマイクロコントローラ向けの新しいプログラミング言語を研究することが目的だった。

サンはこの分野が将来的に重要な市場になると予測し、ジェームズ・ゴスリン、パトリック・ノートンらを中心としたエンジニアチームを結成。
このプロジェクトは後に正式に「グリーンプロジェクト」と名付けられ、カリフォルニア州メンローパークの小さなオフィスで開発が始まった。


Oak言語とGreen OSの誕生(1991年)

グリーンチームは当初、当時主流であったC++をベースとしたオブジェクト指向言語の利用を検討していた。
しかし、家電製品という限られた資源環境では、C++の複雑さが致命的になると判断される。

  • 言語仕様が複雑
  • エラーが発生しやすい
  • 移植性に乏しい

これらの理由から、新しい言語と新しい実行環境を一から設計する方針へと転換された。

ジェームズ・ゴスリンは1991年秋、完全に新設計の言語を完成させる。
オフィスの窓から見えるオークの木にちなみ、この言語は「Oak」と名付けられた。
同時に、Oakを動作させるための環境として
Green OS
の開発も進められた。


PDAとテレビ市場への挑戦、そして挫折(1992年〜1994年)

1992年夏、OakとGreen OSは実機上で動作する段階に到達する。
プロジェクトの焦点は家電製品から、当時注目され始めていた携帯情報端末(PDA)へと移った。

同年9月3日、「Star7」と呼ばれるPDA試作機が公開され、後にJavaのマスコットとなるDukeが初めて姿を見せる。

1992年11月には、サンはグリーンチームを分離し「ファーストパーソン社」を設立。
ケーブルテレビ用セットトップボックス市場への参入を目指したが、技術の先進性が却って障壁となり、商業的成功には結びつかなかった。

最終的にファーストパーソン社は解散し、プロジェクトは再びサン本社へ戻される。


ワールドワイドウェブという転機(1994年)

1994年6月、サン技術部門の幹部と主要エンジニアによる集中的な議論が行われた。
ここで彼らは、プロジェクトの活路をワールドワイドウェブに見出す。

NCSA Mosaicの登場により、インターネットは静的な情報閲覧の場から、インタラクティブな媒体へと変貌しつつあった。
パトリック・ノートンはOakを基盤としたブラウザ「WebRunner」を開発し、動的なプログラムをWebページに埋め込む実験を行った。


Java、始動(1994年〜1995年)

1994年秋、Oakは「Java」へ、WebRunnerは「HotJava」へと改称される。
名称変更の理由は、Oakがすでに他社の商標として登録されていたためだった。

JavaランタイムとHotJavaは1994年10月に社内デモが行われ、
1995年5月、ついに社外へ向けて初披露される。

5月23日のSunWorldカンファレンスでは、Javaアプレットが最大の売りとして紹介された。
同時にネットスケープ社が自社ブラウザへのJava対応を発表し、会場は大きな注目を集めた。


新しい言語が示す可能性

Javaは「Write Once, Run Anywhere(1度書けばどこでも動く)」という思想を掲げる。
それは特定の機種やOSに縛られてきた従来のソフトウェア開発とは異なる方向性を示している。

この技術が今後、Webの世界でどのような役割を果たすのか。
1995年5月、答えはまだ誰にも分からない。
だが、インターネット時代の新しい扉が開いた瞬間であることだけは確かだ。


参考:Hello World

// Hello.java
void main() {
    IO.println("Hello, World!");
}

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