1994年4月6日夕刻、アフリカ中部ルワンダの首都キガリで重大な事件が発生した。
ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領と、ブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた旅客機が、着陸態勢に入った直後に撃墜された。
この事件は、その後発生したルワンダ虐殺を触発する引き金となったと広く認識されている。
何が起きたのか
大統領搭乗機がキガリで撃墜
撃墜された航空機は、タンザニアで行われていた地域首脳会合から帰還中で、
キガリ国際空港への着陸直前に地対空ミサイルによって撃墜されたとされている。
- 発生日時:1994年4月6日夕刻
- 発生場所:ルワンダ・キガリ上空
- 犠牲者:
- ルワンダ大統領 ジュベナール・ハビャリマナ
- ブルンジ大統領 シプリアン・ンタリャミラ
- 搭乗員および随行者
犯行主体については特定されていない。
背景にあった内戦と和平交渉
1990年から続くルワンダ内戦
ルワンダでは1990年、ツチ系勢力が主導するルワンダ愛国戦線(RPF)が、
ウガンダから北部へ侵攻したことで内戦が始まった。
RPFの構成員の多くは、
20世紀半ばにフツ政権下で民族排斥を受け、国外へ逃れた難民、
あるいはその子孫だったとされている。
戦況が膠着すると、1992年以降、政府とRPFの間で和平交渉が開始され、
1993年8月、アルーシャ協定が調印された。
政治的対立の激化
「フツ・パワー」思想の台頭
和平プロセスが進む一方で、国内の政治対立は深刻化していた。
RPFの影響力拡大により、フツ・パワーと呼ばれる排外的イデオロギーが支持を集めた。
この立場では、RPFは
「ツチ支配の復活を狙う外敵」と位置づけられ、
あらゆる手段で排除すべき存在とみなされていた。
この影響を受け、ハビャリマナ大統領は、
和平に消極的であるとして当時の首相ディスマ・ンセンギヤレミェから批判を受け、
1993年7月、政権は瓦解した。
治安悪化と国際社会の懸念
民兵組織の活動拡大
1993年を通じて治安状況は急速に悪化した。
- 武装したフツ系民兵によるツチ住民への襲撃
- 過激政党による民族浄化の公然たる主張
- アルーシャ協定の事実上の形骸化
国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)を率いる
ロメオ・ダレール司令官は1994年2月、
大規模な暴力行為の危険性について警告していたとされている。
なぜ重要なのか
この事件は、
- 国家指導者が同時に殺害された
- 和平プロセスが完全に崩壊した
- 直後に大規模な民族殺害が発生した
という点で、現代史における重大な転換点となった。
今後の見通し
事件直後、ルワンダ国内の緊張は一気に高まり、
治安部隊と民兵の動向が最大の懸念事項となっている。
国際社会は事態の沈静化を求めているが、
和平合意の枠組みが崩れた今、先行きは極めて不透明とみられている。
まとめ
- 1994年4月6日、両大統領搭乗機が撃墜
- 犯人は不明
- 事件はルワンダ虐殺の引き金とされる
- 背景には内戦と深刻な民族・政治対立が存在


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